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THE 

GIRL's

MTG

 

リアルな世界で、1人の女の子と友達に

 

SNSに助けられることは多いけど、自分がもし倒れたら助けてくれるのは「今」隣にいる人。

画面上で優しい言葉をかけてくれる「友達」でも、力強く励ましてくれる「わたし」でもない。

文字でしか繋がらない限り、わたしたちはお互いに架空の人間でしかない。摂食障害仲間でしかない。

1人の人として友達になった「女の子」が、ただ同じ「摂食障害」ってゆう悩みを持ってただけ。

From  NOBE MAHORO

 

 

 大学4年生 / 21歳 / 過食症7年目 / 元下剤乱用
 
 わたしは医者やカウンセラーじゃない、
 普通に学校に行ってバイトしてる女子大生。
 そんなわたしだからこそできることって
 講演会や勉強会じゃない、「女子会」だと思うの。
 
 【 D girls mtg 】に懸ける想い 
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人はプラスのオーラでしかプラスになれない

 

一緒に泣いたり悩んだりすることも大事だけど、何年間も続くこの苦しみを終わらせるには、今までの涙をチャラにするくらい楽しい人生をこの先送るには、苦しみを発信するだけじゃ変われない。

今まだ悩んでる最中でも、前向きにがんばろうとしてたり変わりたいと願う気持ちが、自分や人をきっとプラスに動かしてくれると思うの。

人が苦しみに対して集まる限り「苦しみ」しか生まれない

 

「苦しみを持った人が集まる会」は、みんなの共通項目が「苦しみ」だから「苦しみ」が生まれる。

「摂食障害」ってゆうテーマだから、苦しみを共有する悲しい会なのはある意味当たり前なんだけど、そもそもそれっておかしくない?「今日めっちゃ楽しかったね!」「最高だった!超笑った!」って言えるような会を、わたしたちはやりたい。みんながわくわく、どきどきするような日にしたい。

「苦しみは半分に、喜びは倍に」これ嘘だからね

 

人の苦しみってすっごく閉鎖的で、寄り添えない。苦しいのはなんとなくは分かるけど、その感情を共有するのはすごく難しい。「苦しみ」ってやっぱり、「1人のもの」だと思う。

でも例えば友達と遊んだり、家族とご飯を食べたり、大切な人と旅行に行ったり、そうゆう「幸せ・喜び」って人と共有できる。分かち合える。だからその感情を大切にしたい。

「痩せたい」ってゆうけど、ほんとの望みは何?

 

望んでるものって「痩せた自分」?痩せたら人生全部うまくいく。そう思ってない?

なんで「痩せたい」のか。その欲の裏には、誰かに「愛されたい」「認められたい」そんな何かがある。

痩せることがゴールって勘違いするから体重にこだわる。「痩せて綺麗になってあの人に愛されたい」

下剤で痩せたわたしは綺麗なの?毎日の嘔吐で髪も指もボロボロなわたしは、本当に愛されるの?

体重だけで価値が決まる、そんな軽い人にならないで

 

痩せたわたしには価値があって、太ってる自分には価値がない。自分の価値は体重で決まる。

でももしそれが本当なら、きっとこの世界にスポーツ選手はいないし、花屋さんを目指す女の子も、先生になりたい人もきっといない。それぞれ自分の「強み」を探して、自分に「価値」を生み出す。

きっとわたしたちの価値は、3キロで減っちゃうような軽いものじゃない。

1番お気に入りの服を着て、最高の「女子会」をしよう

 

「摂食障害の会」みたいな面白くないのも、勉強会もしない。これはあくまで、「女子会」。

わたしたちは「摂食障害の子」以前に「1人の女の子」。女の子の形は人それぞれ。音楽や勉強が好きな人も、メイクやお洒落が好きな人も、みんな「女の子」。忘れそうになってる、それぞれの「女の子」に戻れる日になるように。自分をちょっと好きになるために、自分が一番輝ける服で「女の子」を楽しもう。

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